自由時間手帖

JR九州

本当にいた 砂かけばばあ

稲垣えみ子

著者と旅のご紹介 ハロー!自由時間クラブとは?

旅というのは基本的に一人旅のことだと思っている。
なーんて偉そうなことを言っているが、以前は全くそんなふうには考えていなかった。というか、そもそも一人旅というものをしたことがなかった。
理由は簡単で、一人でどこかへ行っても、何が面白いんだか、そもそも何をしたらいいのかサッパリ分からなかったからだ。一体何を考えて、何を楽しんだらいいんですかね? もちろん名所旧跡を回ったり、土地の美味しいものを食べたりすることはできる。しかしそれも「すごいねー」とか「美味しいねー」とか、仲の良い誰かと言い合うから楽しいのだ。一人では何を見ても何を食べても「……だから?」という心の声に襲われることになる。だって実際のところ、世の中はそんなに素晴らしいモノやコトで溢れているわけじゃなくて、だいたいのことは退屈で、平凡で、陳腐で、うまくいかないのである。一人旅とはそんなミもフタもない現実と向き合う作業である。
で、そんなことして一体何が楽しいのかね、と思っていたのであった。
ところが。そんな私が社会人になり、一人旅デビューせざるをえない事情が持ち上がってしまった。
「出張」である。
もちろん、出張は旅行じゃない。仕事である。でも一人で見知らぬ土地へ行き、宿泊して、食事をして……ということにおいては、ある意味リッパな一人旅だ。ゆえにずっと出張が苦手だった。だって仕事以外の場面では何をして良いのか、実に手持ち無沙汰なんである。なので夕食はホテルの食堂で最速で済ませ、さっさと部屋に帰って眠くもないのに寝た。
だが人とは図々しいもので、そんな出張も回数を重ねそれなりに慣れてくると、せっかく遠くまで来たんだから何かを見て帰ろうと目論むようになった。早い話が、会社に交通費を出していただけるのをいいことに、ついでにちゃっかり観光してやれという気持ちが頭をもたげてきたのである。最初は城やら博物館やらへ行く程度だったのが、次第に「温泉に泊まる」ことに熱意を燃やすようになった。

出張が決まると、必ず近くに温泉がないかを調べ、あればそこに宿泊の予約を入れた。いや正直言うと、やや遠くても無理やり温泉に泊まり、翌日始発電車に乗って取材へ行ったりするようになった。だんだん本末転倒な感じになってきたのである。
そのことの是非はともかく、次第に一人旅(出張)というものがそれなりに平気になってきたのは、オンセンという、一人でも手持ち無沙汰にならず、そして人の目を気にしたりせずとも楽しめる貴重なレジャーのおかげである。なんせ服を脱いで湯につかるだけ。裸になれば誰でも一人。友達と来ようが一人で来ようが関係なし。ああ入浴とはなんと平等な行為であろう。
で、そんなことを繰り返しているうちに、ついに私はとんでもないものに出会ってしまったのである。
30歳を少し過ぎた頃のこと。鹿児島県の指宿へ出張が決まった。そう指宿といえば……知ってる人は知ってますよね! でも誤解なきよう言っておきますと、決して温泉目当てに出張を決めたなんてことはありませんよ!
たまたま取材を申し込んだ相手が「指宿でお会いするのはどうでしょう」と。聞けば、昔からの友人数人と「かんぽの宿」に一泊するのだという。早めに到着予定なので、そこまで来てもらえればお話する時間を取れますと。
ありがとうございます。もちろん参りますとも。
で、早速いつものように、近くに温泉があるかどうか調べたのであった。指宿には「砂むし」という温泉があるらしい。どうも変わった温泉らしいが、何せ20年以上前のこと。ネットやら動画やらがあるわけじゃないので詳しい実態は不明である。だがさらに調べると、JR指宿駅の近くに立ち寄り温泉があることが判明。あらステキ。ちょうど飛行機の到着時間と約束時間との間にギャップがあり、どこかで時間を潰さなくちゃと思っていたのだ。ちゃっちゃと動けば取材前にひとっぷろ浴びられるではないか。
というわけで私はいそいそと、勤務地の大阪から飛行機で鹿児島空港まで飛び、そこから急いでバスに乗って指宿駅へ向かったのでありました。

時は早春。閑散としたバスに延々揺られてようやく着いた駅の観光案内所で聞くと、ハイ近くに「砂むし会館 砂楽」という施設がありますと。路線バスで5分。鉄筋コンクリートの立派な建物である。
受付へ行くと、更衣室で服を脱いだら浴衣を着て浴場へ行ってくださいねと言われ、さあ着替えて早速浴場へ……と思ったら、そこは海岸であった。建物のすぐ前が海だったのだ。


キョロキョロしていると、砂浜の一角に日差しよけの天井をこしらえたスペースがあり、その下でスコップを持ったおばちゃんが待ち構えている。恐る恐る近づいていくと、日焼けしたおばちゃんがにかっと笑い、少し砂が凹んだ場所を指さした。そこに寝ろということであろう。棺桶に身を横たえるような感じだが、とやかく言える立場じゃないのでハイといって神妙にそこへ仰向けに寝ると、おばちゃんはうんと頷いて、いきなり手にした大きなスコップで近くの砂をすくい上げでドサドサと容赦なく私の上に大量の砂をかけ始めるではないか。まさしく墓に埋められる土左衛門である。
あっという間に首だけを残して、私の体は完全に砂の下に埋まった。棺桶どころか「さらし首」。しかもこの砂が湿っていて実に重い。そして熱い。熱と圧力で息が苦しくなってくる。不安になったところでおばちゃんが「10分で十分だからね。それ以上は危ないから」と不穏な一言。一瞬、もしここで死んだらどうなるんだという思いが頭をかすめる。部長、怒るだろうなー。取材に行くと言って会社のカネで九州まで来て、なぜか砂に埋められて死亡。しかも温泉。こんなんじゃ発表もできやしない(別に発表しなくていいんだけど)。このクソ忙しい時に余計な仕事増やしやがって、あいつは一体何しに行ったんや! という部長の怒鳴り声が聞こえてきそうである……などという妄想に浸っているうちにマジで変な感じになってきた。砂の圧力がすごすぎて、ドクドクという鼓動に全身が支配される。とんでもない量の汗もブワアと噴き出してくる。だが手も重い砂の中なのでどうすることもできない。ひたすら目を閉じてスーハースーハーと懸命に呼吸をするのみである。ザザー、ザッパンという波の音だけが繰り返し聞こえてくる。
実に静かである。
っていうか恐ろしいほどのんびりしている。ついさっきまで飛行機に乗ってバスに乗って、これから電車に乗って仕事に行かなきゃいけない人間が、わずかな空き時間を使ってこんな非現実的にのどかな海岸で首まで砂に埋められ、生命の危機を感じながらただただ呼吸しているという事実があまりにもシュールである。しかもさっきまで苦しいと思っていた砂の熱が、その重みも相まって体全体をみっちりと包み込み、だんだん例えようもなく気持ちよくなってくるではないか。ついウトウトしそうになる。
だがここで寝てしまっては10分を過ぎて死ぬかもしれないので慌てて目を開けた。わずかに首を動かすと、麦わらぼうしをかぶり、シャベルを持ったおばちゃん数人が、腰に手を当てて海の方をのんびりと眺めているのが見えた。なぜかおっちゃんはいない。全員おばちゃんである。

この人たちはきっと、日がな1日こうやって過ごすのだ。きっと地元の人なんだろうなー。朝起きて、ご飯を作って食べて片付けて、麦わらぼうしをかぶり、自転車で海岸へ来て、波の音を聞きながら、次から次へと訪れる人に次から次へと砂をかけまくって1日を終える。で、次の日もまた……っていうか、これってリアルに「砂かけババア」じゃないの!
いやババアとか言ってすみません。でも決して悪口ではありません。 砂かけババアとは我が最愛の漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の主要登場人物(妖物?)であり、面倒見の良い母親的存在として鬼太郎たちに「ババア」と呼ばれているのである。特殊な妖力を秘めた砂を自在に操り、敵を攻撃することも味方の体力を回復させることもできるパワフルな存在である。

で、まさにこの麦わらのおばちゃんがた、特殊な効能のある砂を人々にかけて体力を回復させているではありませんか! 漫画の中の架空の存在と思っていたのが、実際にちゃんとした職業としてこの世に存在したのである。
いやー、世の中ってなんて計り知れないのかしら。仕事がうまくこなせないこと、上司に叱られてばかりいること、そんなことをこの世の終わりのように思い患う必要なんてないのだ。道はひとつじゃない。都会から数時間離れるだけで、そこには思いもよらぬ、夢物語の中のことだと思っていた人生が実際に展開されていたのである。
ふと想像してみる。私がもし砂かけババアになったなら。

目の前はどこまでも開けた海。美しい砂浜。で、その砂が暖かい。裸足でペタペタと歩くだけで冷え性の私には夢のよう。で、浴衣姿でやってくる人間どもに「10分以上入ったら危険ですからねー」とニヤリと笑い、有無を言わせず穴に横たわらせ、上からドカドカと砂をかけるのだ。
いやー、なんて楽しそうなんでしょう! 「砂かけババア募集」とかしてないかなと思って注意深く館内を見てみたが、そのような張り紙は見当たらなかった。しかしいずれは欠員が出ることもあるに違いない。まあ今すぐとはいかずとも、定年後の第2の人生が砂かけババアって全然アリじゃないか! そう考えるだけでなんだかホクホクしてくるのであった。
しかしもちろんそんなことを考えにここへ来たのではない。これはあくまで「仕事のついで」である。
10分経ったらちゃんとババアが「時間ですよ」と教えてくれて(親切である)、夢のような時間はあっさり終了。重たい砂をエイと押しのけてむっくりと起き上がり、砂だらけの浴衣を脱いでシャワーを浴びて、砂むし会館を後にする。なんだか血液が普段の3倍くらいの勢いで高速回転したような感じである。館内にあった地元紙の記事によると、この砂むしというのはものすごい信じられないような効能があるらしい。詳しい理由は忘れたが、体感としてそれは納得できる。もし砂かけババアになる日が来たら、仕事を終えてからババア同士で砂をかけ合い、毎日この素晴らしい効能の温泉につかる(っていうか埋まる)こともできるんじゃないかと再びうっとりしつつ、湯上がりのアイスを食べながらバスを待ち、再びJR指宿駅へ。ここから取材相手が待つ「かんぽの宿」まで列車で移動である。



指宿枕崎線に揺られること7分。降り立った宮ケ浜駅は無人駅であった。駅の人に道を聞こうと思っていたので焦るが、地図を頼りになんとか時間通りに宿に到着し、約束していた相手からお話を伺い、無事に出張のミッション終了である。ほっとして、再びてくてく歩いて宮ケ浜駅 に戻る。あとは鹿児島まで行って一泊するだけだ。ああ出張ってこの瞬間がいいんだよね! 何もしなくていい空白の時間。会社から遠く離れているから上司の目を気にすることもない。サラリーマンが自由を実感出来る貴重な瞬間である。

だが時刻表を見ると、鹿児島行きの列車が来るまで1時間以上あった。周囲を見渡しても時間を潰せるような喫茶店もない。駅のホームでぼーっと待つしかないのであった。人生の貴重な自由時間とはこのように過ぎていく。
ところが。ホームへ行った私は意外なものを見た。
ホームのすぐ向こうが海なのである。海が近いとかそういうレベルじゃなくて、浜の中にホームが立っている感じ。見方によっては「絶景」と言えないこともない。来た時は待ち合わせに遅れまいと焦っていたのでちゃんと見ていなかったのだ。
ホームの看板を見ると、駅名の下に「日本で一番海に近い駅」とあった。
なんと、実はスゴイ場所だったのね。なんたって日本一。偶然こんな場所に来た私ってエラくラッキーなんじゃ……と思ったものの、私の他には人っ子一人いない。なので「スゴイ」のにちっとも盛り上がらない。


することもなく、ホームに佇んで海を見ながら(っていうか海しか見えない)考えた。なんか今日は妙にスゴイ1日であった。リアル砂かけババアに出会い、ただいま日本一の駅を独占中である。二つとも全く予期しないことだった。勝手に向こうから、ふいに、我が人生に飛び込んできたのである。
なるほどもしかすると、世の中にはまだまだ私が見ていない「スゴイ」場所や「とんでもない人」がそこいらじゅうにたくさん存在してるのかもしれない。でもそのほとんどは、誰に注目されることもなく雑誌やらテレビやらで騒がれたりすることなどなく、全く、フツーに、これまでも、これからも、ただただそこに存在しているのだ。
そう思うと、私が「こんなもん」だと思っている世界なんて、実は世界のほんの一部なんじゃないだろうか?
なるほど。一人旅ってこういうことか。
一人旅は確かに「手持ち無沙汰」である。それはみじめなことだと思っていた。だから一人旅がずっと苦手だった。でもそうじゃない。それこそが旅の本質なのだ。勝手の分からない場所で、まごまごして、取り立ててすることもなくて、つまり手持ち無沙汰だからこそ、するつもりのなかったことをする羽目になり、見るつもりもなかったものが目に飛び込んでくる。で、思いもよらぬ世界が目の前に転がっていることに気づくのである。
ということで、我が32歳のこの旅(っていうか出張)は、ほんの少し、でも確実に、私の心に風穴を開けた。世の中は案外無限なのかもしれない。もし今の人生がうまくいかなくても、行き場所も、やり方も、幸せの形も、いくらでもあるのかもしれない。出会いを楽しむ気持ちがあれば、いつだってどこだってパラダイスなのだ。

著者と旅のご紹介 ハロー!自由時間クラブとは?