自由時間手帖

JR九州

地球に 触れる旅

角田光代

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土地と人には縁がある。人と人とに縁があるように、はっきりと縁がある。私はずっとそう思っている。
九州とはなかなか縁がなかった。30歳の半ばを過ぎるまで、いく機会がなかったのだ。はじめて九州に足を踏み入れたのは2007年。依頼された取材の旅で、熊本空港に降り立った。レンタカーに乗りこみ、カメラマン氏の運転で空港を出て、ミルクロードという道を走った。窓から見える新緑がうつくしくて、空が高くて気持ちがよくて、むくむくと指の先まで興奮して、九州すごい! と思った。景色がうつくしいという、ただそれだけではないとくべつな感じがあって、私はその「感じ」をキャッチしたのだと思う。この場所が好きだ、と思った。思ったばかりか、いっしょにいた編集者さんに「ここにこられてしあわせです、ありがとうございます」と突如大声で言って、びっくりされたのだった。
それ以後、九州と私はうまい具合に縁ができて、2、3年に一度はかならず訪れるようになった。そうして訪れるたび、私ははじめて感じたあの「九州すごい!」を思い出す。あの興奮、あの感覚が裏切られることがないのだ。それがどんな地であれ、私は九州にくるたび、なんだか興奮し、すごい! と感嘆し、好きだとしみじみ思う。これは、縁を超えた相性だ。土地と人との相性。
今回、短い旅をするために熊本空港に下り立って、やっぱりはじめての九州を思い出す。向かうのはミルクロードではなくて熊本駅方向だけれど、窓の外に熊本の市街地が見えてきて、修復中の熊本城がちらりと見えるとやっぱりうれしくなる。はじめて熊本城を見たとき、そのうつくしさに涙が出たことを思い出す。ひとりで城を前に泣いている女は、ほかの人から見たら不気味だったろう。修復を終えたあとの、あの威風堂々たる姿を早く見上げたい。

さて今日は、熊本駅から特急「かわせみ やませみ」という観光列車に乗って、人吉に向かう。九州を走る列車のほとんどすべて、水戸岡鋭治さんがデザインしているが、この「かわせみ やませみ」も同様だ。かわせみの1号車は青、やませみの2号車は緑。全体的な色やデザインはもちろんかっこいいのだが、運転席の座席や車内の天井、子ども用いすの布地、飾ってある絵とその額縁、仕切りの窓ガラスなどなど、よく目をこらさなければ気づかないくらい細かなところに、すばらしくキュートな工夫がされていて、見つけるたびにうれしい驚きがある。乗っているだけでたのしくなってしまうのは、車窓の景色や車内販売のお弁当の素晴らしさだけでなく、こういった細部の茶目っ気が、旅の非日常気分を盛り上げてくれるからだろう。

この列車は熊本-人吉間をおよそ1時間半ほどで走るのだが、後半、八代駅を過ぎたあたりで窓の外に雄大な川が見えてくる。球磨川である。列車と併走するように流れる川は、曇り空の下でも、写真や絵のような澄んだ青だ。
人吉を訪れるのははじめてだが、ぜひいきたい場所がある。永国寺だ。1408年に創立された曹洞宗寺院で、西南の役のときに西郷隆盛が本営を置いた寺として有名で、西郷隆盛による書も残っている。しかしながら私が見たかったのは、その書ではなくて、創立当時の和尚さんが描いたという、幽霊画である。

寺の近くにあるお侍さんが住んでいて、愛人を囲った。しかし本妻がこの愛人をいじめぬき、愛人は球磨川に身を投げて自殺。その後幽霊となって本妻のもとにあらわれるようになった。本妻はこのお寺に駆けこんで助けを求めた。池にあらわれた幽霊は和尚さんに説き伏せられ、また、和尚さんの描いた自身の姿に驚いて、和尚さんの引導により成仏した……とのこと。お寺の庭には幽霊のあらわれた池もある。

この幽霊画はいつでも公開されていて、見ることができる。薄気味悪いというよりも、かなしい絵である。恨みというより、孤独がしんしんと伝わってくる。池は、幽霊が出たとは思えない静かな水面をたたえていて、春や夏には季節の花が周囲を彩るという。
この日、人吉から黒川温泉に向かうことになっていたのだが、急遽、大観峰にいくことになった。大観峰には明日いくことになっていたのだが、明日は雨の予報だというので、晴れている今のうちに目指そう、ということになったのである。
十数年前はじめて熊本にやってきた私は、その後幾度となく熊本を訪れているが、そのほぼすべてが市内、いつも休暇ではなく仕事で、つまりたいへんあわただしいスケジュールで訪れただけである。それらの位置関係も、そのほかの熊本の名所も観光地も、じつはよく知らない。なので、この大観峰という場所も、まったく知らなかった。

夕方の、まだ日が落ちきる前に大観峰に着いた。しかし着く前から、車の窓の外に広がるのは、見たこともない異様な光景だ。木々で覆われてもいない、岩でもない、うねうねと続く山は、本当に山なのかわからなくなるくらい、ふつうの山とはかけ離れた形状だ。いったいどこにきてしまったんだろう? と不安になる。
大観峰から見ているこの異様な光景は、阿蘇カルデラであるらしい。と教えてもらっても、カルデラが何かわからない。火山活動によってできた土地のことをカルデラといい、阿蘇カルデラは何万年も前に起きた火山の噴火によってできた世界最大級レベルのカルデラ、と聞いて、理解はできるが、でも、目の前の光景とそうした言葉は結びつかない。言葉よりもずっとずっと光景のほうが迫力がある。うつくしいというよりも、少しおそろしい。人間が決して持ち得ない威力を、まざまざと見せつけられているような気持ちだ。

このむき出しの地球が、だんだん蜂蜜色に包まれだして、やがて金色に染まっていく。この世ではないみたいな、神々しいような景色だった。

この日、泊まったのは黒川温泉だ。温泉にも詳しくない私は、この温泉地をまったく知らなかったのだが、そもそも黒川温泉は最近まで秘境のなかの秘境だったらしい。このところぐっと人気が出て、観光客が増えてきたのだという。
私の泊まった『山みず木別邸 深山山荘』は、黒川温泉郷の外れにある。到着したのは夜で、周囲にはほとんど明かりがない。迷いそうな広大な敷地に、8棟16室がぽつりぽつりと点在する贅沢な造りだ。

ダイニングレストランで夕食を終えて、部屋に帰りがてら空を見上げると、息をのむほどの星がまたたいている。なんの音もしない夜のなか、大きくちいさくまたたく星をじっと見つめていると、そのまま吸いこまれていきそうだ。
翌朝、黒川温泉がどんなところか、ようやくわかったのだが、温泉に詳しくない私にしてみればちょっと変わった温泉郷である。この温泉郷のなかにバスのような公共の乗り物はなく、温泉郷全体が商店や飲食店でにぎわっているわけではない。

黒川温泉郷のホームページによると、「黒川温泉一旅館」と自己紹介をしている。里山と三十ある温泉宿すべてがひとつの旅館、という考えである。ひとつひとつの旅館が、大きな旅館の離れで、それを結ぶ道が渡り廊下。なるほどそう言われてみれば、「ちょっと変わった」感じにも納得がいく。

温泉郷の中心部には観光インフォメーションがあり、みやげもの屋や飲食店が軒を連ねる。ここの風情がすばらしい。色合いの統一された古い建物が、細い路地沿いに並ぶ。路地は坂になったり階段になったりして続き、細い川にぶつかる。歩いていると、空間というよりも時代を旅している気持ちになる。車が通っていると不自然に見えるくらい古色なたたずまいなのだ。

黒川温泉から阿蘇に向かう途中、小国町にある鍋ヶ滝に寄った。公園内の階段をずっと下りていくと、水音がどんどん大きくなって、空気がひんやりしてくる。落差約10メートル、幅が約20メートルの、横に長い滝である。この滝は、裏側を歩くことができる。裏から見る滝は神秘的なカーテンみたいだ。たえまなく落ち続ける水の景色は、見ているだけで気持ちが落ち着く。春の夜はこの滝が裏側からライトアップされるそうだ。それも見てみたい。

この滝も、カルデラと関係があるらしい。約9万年前の大噴火で火砕流がこのあたりまで流れ、それが岩石化したのがこの周辺。その岩石の下の、やわらかい地層が滝の水で削られて、空間ができ、裏から見られるようになった。たしかにこの滝も地球っぽいというか、どこか原始的な光景である。
水の音に耳を澄ませて、滝をぼうっと眺めながら、こんな旅らしい旅はずいぶんと久しぶりだ、とふと気づく。観光名所にいって景色を眺めて、なんでもない時間を過ごすようなことが、私の近ごろの暮らしにはほとんどなかった。
鍋ヶ滝から阿蘇に向かう、車窓の景色がすばらしかった。昨日見た大観峰のような、むき出しの地球みたいな大地のなかを、車はずーっと走っていく。うーん、やっぱり九州すごい、と心のなかでしみじみつぶやいてしまう。広いし、見どころが無数にあるし、どこにも似ていない景色が見られるし、旅らしい旅をさせてくれる。九州すごい、やっぱり大好き。

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